
今日は、1941(昭和16)年に川喜田二郎が、大興安嶺を探検する許可を取りに関東軍と交渉した時の話や

川喜田さんは当時大学生だったんだよね。そんな交渉なんて出来るものなの?

もちろん軍との交渉なんて経験あるわけあらへん。そんな学生を送り込むんやから、今西のスパルタっぷりが分かるエピソードやな

きっと京都にいる今西さんに報告するたびに「お前ら、そのまま引き下がってどうするんじゃい!」って言われてたんだろうな…(遠い目)怖い軍人さん相手に、よく逃げ帰らずに交渉できたね。本当に凄いよ。

形勢不利でも、自分が出ていくのではなく、必要な駒を指揮するのが今西流や。

漫画でも登場してる伴豊さんは、川喜田さんや梅棹さんたちと一緒に「ベンゼン核」というグループを結成した一人や。その学生離れした押しとねばりで、大興安嶺探検の交渉でも凄く活躍した人や。後から送り込まれた昆虫学者の可児さんも誠実な人柄で、説得に大いに貢献しはった。
二人とも将来を嘱望されていたけど、その後、戦争に行って死んでしまわはったんや…

そん な…

今西らが生きた時代は、戦争と切っても切り離せへん。今西たちが計画した海外登山や遠征、戦争や戦況によって幾度となく中止・延期になってるさかい。

みんな「もっと探検したい」「もっと学問したい」という気持ちで、一生懸命生きてたんやな

うん