【西堀語録】そりゃ、ええ考えじゃないか

1957年から58年にかけて、日本による初めての南極地域観測が行われました。初代越冬隊長を務めた西堀榮三郎さんと、10人の越冬隊員たちは、南極という厳しい環境下で、基地の建設から物資の輸送まで、少ない人員と限られた物資でやりくりしていました。いよいよ南極の冬を迎えようかというころ、発電係の隊員が食堂に集まった隊員たちにこう言いました。

発電係「実は石油のことやがなぁ。パイプかなんかでサーっと運べたらみんな助かるんやけどなぁ」
当時の基地では、エンジンルームにあった発電機を使って電気を作っていました。その発電機は石油で動くのですが、石油の入ったドラム缶は基地の外に置いてあったので、運搬してこなければなりません。しかしドラム缶はとても重たく、一人で運べるようなものではないので、発電係はみんなに手伝ってもらいながら、日々のドラム缶運搬をこなしていました。
しかし、南極が冬を迎え、日のさす時間は減り、寒さが厳しくなっていく中、彼の心に不安が生まれます。

※イメージ図
これからどんどんドラム缶のある場所は遠くなっていく(基地から近いほうから使っていくので)
もしかしたドラム缶は雪と氷で凍てついてるかもしれない…
そして真っ暗闇の中で、重たいドラム缶を運んでこなけばならない…
発電係「えらいこっちゃ!」
事態を深刻にとらえた隊員は、一つのアイデアを思いつきました。それが「パイプで石油をサーっと流す」作戦です。なるほど、パイプで流すことができれば、みんなに運搬を手伝ってもらう苦労をかける必要もなくなります。しかし、提案を聞いた隊員たちの反応はよろしくありません。それもそのはず。
なぜなら、当時の基地には石油の運搬に使えるようなパイプなんて無かったからです。
(初代越冬では、入念な事前準備をしていても、想定外の出来事や不慮の事故などによる物資の不足に悩まされました)
そんなこと無理にきまってる。
みんなが反論の口火を切ろうとする中で

西堀榮三郎「そりゃ、ええ考えじゃないか」
驚いた隊員たちによる反撃の矛先は西堀越冬隊長に向きました。
隊員たちが「パイプなんかない、作ろうにも材料もない」と反論すると隊長は言いました。
「ここは南極やで、外に出てみい。雪がある。氷がある。
あってあってしょうがないくらいあるやないか。
あの氷でパイプを作ればええやろ」
そうは言っても、「パイプが折れたら…」「パイプの長さはどうするのか…」と疑いや不安の声が次々あがります。提案した張本人である西堀隊長も、いい案を持っているわけではありません。ですが、隊員たちと議論するうちに、「繊維の入った氷のパイプ」を作ることを思いつきます。氷だけだとポキンと折れる危険がありますが、繊維が入って粘り気があればパイプも折れにくくなるからです。
反対ムードだった隊員たちも、実現の可能性が出てくると、あら不思議。
「そういえば大量に余っている包帯があります!」とどんどん新しいアイデアを出してきて、氷のパイプ実現に向けて走りだしました。
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※氷のパイプ(イメージ図)
そうして出来上がったのが、石油を流す氷のパイプです。
短い真鍮のパイプに、水で濡らした包帯を何重にも巻きつけて、氷と繊維(包帯)のパイプを作ります。中にお湯を流したら、真鍮のパイプは抜けるので、また新しい氷のパイプを何本も作ります。そして、水を接着剤代わりにして、出来上がった短い氷のパイプ同士をどんどん繋げていきます。すると、基地と石油のドラム缶をつなぐ、長い氷のパイプが完成したのでした。
最初はとうてい不可能だと思われたアイデア。
ですが、西堀さんの賛成の声によって見事実現しました。
もし西堀さんの「そりゃ、ええ考えじゃないか」がなければ、みんな反対をうけた発電係の隊員も諦めてしまい、厳冬下でのドラム缶運搬という重労働が変わらずに続いたかもしれません。
みんなが明らかに反対している中で唯一「そりゃ、ええ考えじゃないか」と賛成し、その姿勢を崩さず、最終的に実現させているのが凄いです。ちょっと突拍子なアイデアや、反対意見でも声を上げやすい環境というのが大事なのですね。反対意見も、その後の改善点につながるかもしれませんし、と今回の語録をまとめていて思いました。
まぁ、「パイプがなければ、外の氷を使って作ればいいじゃない」という発想に行きつく西堀さんは、やはり素晴らしい創造力の持ち主ですね

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今回のエピソードは西堀榮三郎著『創造力 自然と技術の視点から』で、もっときちんと紹介されています。残念ながら現在は絶版になっていますが、探検の殿堂にお越しいただけましたら、1階記念室で閲覧していただけます。また、図書館などでも所蔵されているかと思うので、気になった方はぜひ一度ご覧ください。
【西堀語録】探検、冒険、危険

みなさんは「探検」という言葉の意味をご存じですか?
私自身、探検の殿堂で働き始めるまで「探検」と「冒険」という言葉の違いを意識したことはなく、ほぼ同じ意味だと思って使っていました。ある日、私が間違って「探検」を「探険」と書いてしまった時、マイボスから両者の大いなる違いを教えてもらったのです…。
「冒険」という言葉は「危険を冒す」という字の通り、「危険を伴うことをあえてすること。成功の見込みの少ないことを無理にすること」(大辞林)
対して「探検」は、「自分にとっての”未知”を探(さぐ)り、検(しら)べる行為」を意味します。
口に出して読むと同じ音になってしまいますが、険と検は全く異なる意味を持っているのです。
普段、何気なく同じような意味合いで使っていた言葉が、実は全然違う意味を持っていたなんて。目からウロコの新情報でした。
もちろん未開の地や未踏峰に挑む場合、危険をともなうこともあるでしょうが、そうした場合でも「探検」とは、未知の領域に足を踏み入れること自体ではなく、そこで新しい発見を探ったり、検べたりすることを目的とする…と私は理解しています。
しかし、この二つは古くからごっちゃになりがちだったようです。
西堀榮三郎さんたちが初めて南極に行くことになった際も、民間から寄付を募るために「日本南極探検後援基金募集」という看板を立ち上げたら、「”探検”なんて言葉はあぶないから困る、”観測”という言葉に変えて」という声が上がったそうです。
南極のみならず登山、スキーなど新しいことにどんどん挑戦した西堀さんは自著『石橋を叩けば渡れない。』の中でこう語っています。
ほかの方から見れば、ずいぶんあいつむちゃしやがるな、と思うようなことをしたかもしれないが、私自身はいつも非常に慎重にやってきました。あらゆる角度からものを考えていって、いささかも自分が危険を冒していると感じたことはないのです。(『石橋を叩けば渡れない。』p30)
幼いころから南極への夢を抱き続け、雪山登山や情報収集を続けた西堀さん。いざ南極に到着すると、物資の輸送や基地建設に追われる中、食料や燃料の喪失してしまうなどの厳しい環境に置かれました。そうした中でも、西堀さんは地道に観測や調査を続け、未知の探求に勤め、喜びを感じました。きっと楽しくて仕方がなかったのではないか……南極での西堀さんの写真を見て、私はそう感じたのでした。
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最近、時間のある時に、西堀さんが残した写真資料を眺めています。
ふと、それをイラストに描きおこしてみました。写真データそのものをブログに掲載することはできませんが、イラストなら掲載できるので、こういう風に西堀語録と一緒にみなさんにお伝えしようと思います。
続くように祈ってください。