山本一清先生と西堀榮三郎の交流を描いた冊子が発売中

みなさん、14日(木)のコズミックフロントを見ましたか?滋賀県の天文学者・山本一清先生が番組で紹介されてましたね!我々が展示制作の際にお世話になった冨田良雄先生もばっちし出演されていました。
山本一清先生や中村要さんとも交流のあった西堀榮三郎さんもチョイ役で出てるかも!!と希望を抱きつつ見ていましたが、西堀さんは当然ながら全く触れられませんでした(正直に言うとチョットだけがっかりしました………)
コズミックフロントで取り上げられたアマチュア天文学者の父・山本先生や、反射鏡研磨のスペシャリスト・中村要さんとも、西堀榮三郎さんは交流がありました。その交流は西堀さんが十代後半の青春真っ盛りの時…、しかも旧・第三高等学校への受験に失敗し絶賛・浪人中という悩み多き時代に行われました。
宇宙に輝く星空の下で繰り広げられる三人の交流…
滋賀県の私設天文台でのスリリングな天体観測…
西堀さんはどんな青年だったのか…
山本先生や中村君という天文学を志す人々との交流が西堀さんにどんな影響を与えたのか…
どんな天文学の知識や技術を学んだのか…
西堀さんにとって天文学って何だったのか…
それらをまるごと紹介しているお得な本があります。
その名も『宇宙(ソラ)を仰ぐ』です!

若き西堀青年と二人の交流を描いた漫画とか(約30ページ程度)や、展示を監修いただいた冨田先生による天文学に関する複数の文章、さらに西堀榮三郎のご長男である岳夫さんへのロングインタビュー、はたまた自分が発見した天体に西堀さんの名前をつけちゃったアマチュア天文家のお話など、ここでしか見られない内容が詰め込まれた一冊となっております。
冨田先生には、山本先生や中村要さんのかな~~~~り詳しい文章を書いていただきました。コズミックフロントで描かれなかった部分についても、『宇宙(ソラ)を仰ぐ』を読めばバッチシOK!要チェックですぞ~~。

この冊子には、もう一つアピールポイントがございまして、今まで一般に公開されることが少なかった西堀写真をバンバン使ってます。
テレビや書籍で使われる西堀さんの写真って、お決まりの奴が多いんですよね。分かりやすい良い写真ということもあるのですが、西堀さんの残した写真の中は、あまり日の目を見ていないけど興味深い写真も多いんですよ。(あまりに膨大すぎて、私たちもまだ把握しきれないほどです)
今まで展示や館内利用の資料には使用されることはあっても、一般の方がご覧いただける媒体に掲載されることは(ほぼ・ほとんど)無かったので、これを機にみなさんにご覧いただければと思い、かなり多くの図版・写真を掲載しました。
『宇宙(ソラ)を仰ぐ』は、探検の殿堂でのみ販売中です。お値段は1200円。通信販売もしておりますので、ご興味のある方はぜひお問合せください。
西堀資料 扇風機
今日は西堀資料をご紹介します。もうかなり昔のことですが、探検の殿堂の大掃除をしていたときに発掘した一品です。今回ご紹介する西堀資料は……
扇風機です!

なんかアンティークな感じで素敵ですね~。
触った感じオール金属で出来ているようで、めちゃくちゃ重いです。(片手で持つのが厳しいくらい)プラスチックではないので、長年の風化にも耐えたのかしら。
しかも、この扇風機。動くんです!
すごーい。普通にコンセント指せる。
でも、現代の扇風機と比べたら、風力は凄く弱いです。うちわでゆったり仰がれてるくらいの風しか来ません…。扇風機に一応、ガードはついているけれど、凄い隙間があいてますね。なんだか手を入れたくなるような

後ろの様子です。黒塗りのボデー

刻印のアップ。
翻訳したら「交流式ファンモーター No.042774 電圧100 回転60※今でいうHerz(ヘルツ)という単位」とあります。
下はなんだか読み取りにくいんですが、PAT.AUG 13:95 JUNE 25.1901とあるので、製造は明治34年7月25日なんでしょうか?
というか西堀さんは1903年(明治36年)に生まれているので、西堀さんより古いということ!?
これは…、西堀さんは、一体いつ手に入れたんでしょうか…?現代の感覚からすると、自分が生まれるよりも前に作られた機械を買おうと思うことって、なかなか無くないですか?
製造元は「GENERAL ELECTRIC CO. U.S.A」とあります。
このGE、なんか見た覚えがあるなと思って少し調べてみたら、東芝(かつての東京芝浦電気㈱)で働いていた時の西堀さんが、技術研究のためにアメリカに留学したとき(1939~1940年)に見学しにいった企業の一つでした。そして西堀さんが当時申請した特許の謝礼を支払うよ♪といってくれて、たったの1ドルしかくれなかった企業でした。さすがの西堀さんもガッカリ&ビックリ。
西堀家で使われていた扇風機。
せっかく動くので西堀記念室で展示したいんですが、もう夏が終わる……
扇風機です!

なんかアンティークな感じで素敵ですね~。
触った感じオール金属で出来ているようで、めちゃくちゃ重いです。(片手で持つのが厳しいくらい)プラスチックではないので、長年の風化にも耐えたのかしら。
しかも、この扇風機。動くんです!
すごーい。普通にコンセント指せる。
でも、現代の扇風機と比べたら、風力は凄く弱いです。うちわでゆったり仰がれてるくらいの風しか来ません…。扇風機に一応、ガードはついているけれど、凄い隙間があいてますね。なんだか手を入れたくなるような

後ろの様子です。黒塗りのボデー

刻印のアップ。
翻訳したら「交流式ファンモーター No.042774 電圧100 回転60※今でいうHerz(ヘルツ)という単位」とあります。
追記その1
G-G-のサイエンス倶楽部のメンバーTさんからご指摘をいただきました。回転というのは、現在のHerz(ヘルツ)という単位と同様の意味だそうです。西堀さんの扇風機が、あんまり強く回転しないのも、このヘルツが関係しているみたいです。Tさん曰く、油を差す+関東で動かしたら、もっと早く回転するんじゃないか?とのこと。
なるほどな~
G-G-のサイエンス倶楽部のメンバーTさんからご指摘をいただきました。回転というのは、現在のHerz(ヘルツ)という単位と同様の意味だそうです。西堀さんの扇風機が、あんまり強く回転しないのも、このヘルツが関係しているみたいです。Tさん曰く、油を差す+関東で動かしたら、もっと早く回転するんじゃないか?とのこと。
なるほどな~
追記その1-1
お詳しい方からさらにご指摘をいただきました。昔はHerz(電気の周波数)は、CYCLES(回転数)と表示されていたけれど、言葉の通り「一分間あたりの回転数」を表す場合は………RPMと表記されるのだとか。ナルホドリ。
お詳しい方からさらにご指摘をいただきました。昔はHerz(電気の周波数)は、CYCLES(回転数)と表示されていたけれど、言葉の通り「一分間あたりの回転数」を表す場合は………RPMと表記されるのだとか。ナルホドリ。
下はなんだか読み取りにくいんですが、PAT.AUG 13:95 JUNE 25.1901とあるので、製造は明治34年7月25日なんでしょうか?
というか西堀さんは1903年(明治36年)に生まれているので、西堀さんより古いということ!?
これは…、西堀さんは、一体いつ手に入れたんでしょうか…?現代の感覚からすると、自分が生まれるよりも前に作られた機械を買おうと思うことって、なかなか無くないですか?
追記その2
またまたTさんが教えてくれました。
このPATというのは、patentといって「特許申請日」ではないか?ということでした。ということは、そんなに古い機械じゃないんですね。
またまたTさんが教えてくれました。
このPATというのは、patentといって「特許申請日」ではないか?ということでした。ということは、そんなに古い機械じゃないんですね。
製造元は「GENERAL ELECTRIC CO. U.S.A」とあります。
追記その3
新たに正しい情報をいただきました。
戦前の東芝は、GENERAL ELECTRICから技術提供も受けていたようです。この会社は現在も盛業で、ネットで検索したらサイトもウィキペディアも出てきました。
新たに正しい情報をいただきました。
戦前の東芝は、GENERAL ELECTRICから技術提供も受けていたようです。この会社は現在も盛業で、ネットで検索したらサイトもウィキペディアも出てきました。
このGE、なんか見た覚えがあるなと思って少し調べてみたら、東芝(かつての東京芝浦電気㈱)で働いていた時の西堀さんが、技術研究のためにアメリカに留学したとき(1939~1940年)に見学しにいった企業の一つでした。そして西堀さんが当時申請した特許の謝礼を支払うよ♪といってくれて、たったの1ドルしかくれなかった企業でした。さすがの西堀さんもガッカリ&ビックリ。
西堀家で使われていた扇風機。
せっかく動くので西堀記念室で展示したいんですが、もう夏が終わる……
木造ヨット『ヤルン・カン号』の資料コーナー

西堀さんが晩年に息子さんたちと製作した木造ヨット『ヤルン・カン号』に関する実物資料の展示コーナーが出来ました。
アンカー以外は全部実物です。
(最近よく発掘される榮三郎フィギュアも置いておきました)
なんか…、私の想像よりもスクリューが小さくて驚きました。もっと巨大なスクリューが使われているのかと。

となりにある船のレプリカを見てみたら、スクリューの比率が分かります。やっぱり船体の大きさに対してスクリューって小さいんだなぁ。
YALUNG KANG の文字は、船の後ろに打ち付けられていたようです。
写真データを見返してみると、西堀さんは航海に出るとき専用の帽子(船長帽子)を被っていることが多いです。その帽子も西堀資料として収蔵されており、私もその帽子を被ってみたことがあります。
そしたら、なんだか頭がズキズキと痛くなってきたではありませんか。
まさか「勝手に被るんやないで~!」という西堀さんの怒り!?
…ではなく、単に私の頭が帽子に対して大きすぎただけでした。
ショック

いったい何に使われていたのかは不明なのですが、ヤルン・カン号の焼きゴテです。探検の殿堂の前にある馬堤溜に展示されていた実物の『ヤルン・カン号』が解体されたときに、マストが輪切りにカットされました。この焼きゴテで焼き印が入れられたサイン入りのマストも展示しています。

船体のロゴは金属プレート製で、バラバラの状態で保管されてました。写真は新しいビスで固定している時の写真です。
木造ヨット『ヤルン・カン号』レプリカの横にコーナーを設置したので、ご来館の際はぜひご覧ください。
量産型 西堀榮三郎フィギュア

最近ブログに良く登場するフィギュア・西堀榮三郎。
本日、箱詰めされて販売可能な状態のものが2点、探検の殿堂の奥深くから発掘されました。
いままでフィギュア本体しか見たことがなかったので、パッケージングされたものは初めて見ます。
箱の天と、一側面に商品解説のシールが貼られています。

紹介シールによると…
■ 京都三高時代の若き日の西堀榮三郎を再現
■ 場面は白根三山北岳での様子をモチーフに
■ 複数枚の写真による多角的な分析で緻密に表現
■ 手作業によるカラー彩色と抜群の質感
材質はポリレジン製とあります。
ポリレジンとは、ポリエチレン樹脂に、粉末にした炭酸カルシウムを混ぜて固めた物だそうです。
ポリレジンは分類としてはプラスチックでも見た目は陶器のような質感が得られる材質だとか。だからこんなに硬質で重量があるんですね~
こちらのフィギュアは、西堀生誕100年を記念されて制作されたもので
限定 100台!
お値段 1000円(もしくは1500円)!!
だそうです。
限定100台で、1000円(もしくは1500円)!?
マジで!!??

フィギュアの相場を考えると、ほんとの出血大サービスだったようです。買った人はマジでラッキーですね。
この箱にはられた商品紹介シール。綺麗にはがそうと思ったのですが無理でした。
つまり破れました。
もうひとつの箱入りの方は、箱入り状態で保存しておかなければ…

中を開けてみると発泡スチロールに包まれたフィギュアが出てきました。
それにしても、少し前のフィギュア紹介記事で「あっというまに全部売り切れた」とか言ったような気がするんですけど…
2つだけ残っていたようです。

お顔です。
やっぱり人の手で塗られているから個体差がありますね。
この量産型西堀さんはしっかりとした眼差しをしている…ように感じる。
西堀榮三郎生誕100年記念特別フィギュア
資料整理をお願いしているTさんが凄いものを発見してくださいました。
ごらんください。

西堀榮三郎生誕100年記念のときにオリジナルグッズとして制作された限定フィギュアの第1号機!!
きちんと発泡スチロールで梱包されて、探検の殿堂の奥深くで大切にしまい込まれていた一品です。

(左)第一号フィギュア。(右)量産型フィギュア。
右は、探検の殿堂の受付横に置いてあるものですが、ピッケルは紛失してしまっています。

顔の比較です。
なんだか……人相における眉毛の重要性が分かります。
(左)は非常に凛々しいです。
アニメキャラクターなどデフォルメされていても顔の再現は神経を使う(目の位置が数mmズレるだけで、なんか違う感が出てしまう)ので、実在の人物をフィギュア化して本人に似せるのはめちゃくちゃ難しい作業だったでしょう…。
アイプリントではなく、筆で眉や唇を描きこんであるので、ペインターの苦労がしのばれます。
別個体の量産機榮三郎は全然違う人相をしている可能性が…

横から比較した写真です。
量産型(右)の方が身長が低いように見えるのは私の目の錯覚なのでしょうか…?熱などの影響で傾いたのかもしれません。

背面はとくに目立った違いはありません。
比較してみると第一号機だけあって、かなり気合を込めて制作されたことが伺い知れます。
約20年前に制作されたフィギュアですが、当時の制作技術なども加味すると、量産機を含めてこのクオリティで作れたのは凄いことだと思います。そのせいか、生誕100年特別フィギュアはアッという間に売り切れたと聞きました。
いまごろ、各地の榮三郎フィギュアはどうしているんでしょうか?
ごらんください。

西堀榮三郎生誕100年記念のときにオリジナルグッズとして制作された限定フィギュアの第1号機!!
きちんと発泡スチロールで梱包されて、探検の殿堂の奥深くで大切にしまい込まれていた一品です。

(左)第一号フィギュア。(右)量産型フィギュア。
右は、探検の殿堂の受付横に置いてあるものですが、ピッケルは紛失してしまっています。

顔の比較です。
なんだか……人相における眉毛の重要性が分かります。
(左)は非常に凛々しいです。
アニメキャラクターなどデフォルメされていても顔の再現は神経を使う(目の位置が数mmズレるだけで、なんか違う感が出てしまう)ので、実在の人物をフィギュア化して本人に似せるのはめちゃくちゃ難しい作業だったでしょう…。
アイプリントではなく、筆で眉や唇を描きこんであるので、ペインターの苦労がしのばれます。
別個体の量産機榮三郎は全然違う人相をしている可能性が…

横から比較した写真です。
量産型(右)の方が身長が低いように見えるのは私の目の錯覚なのでしょうか…?熱などの影響で傾いたのかもしれません。

背面はとくに目立った違いはありません。
比較してみると第一号機だけあって、かなり気合を込めて制作されたことが伺い知れます。
約20年前に制作されたフィギュアですが、当時の制作技術なども加味すると、量産機を含めてこのクオリティで作れたのは凄いことだと思います。そのせいか、生誕100年特別フィギュアはアッという間に売り切れたと聞きました。
いまごろ、各地の榮三郎フィギュアはどうしているんでしょうか?
【西堀資料】 World Zone CRF-230B
最近発見された西堀資料をご紹介します。
西堀家から譲り受け、ながらく未整理資料ゾーンに入ってしまっていたコチラの一品。
World Zone CRF-230B
最初はカバーが閉まっていたので一体何なのか全く分かりませんでしたが…。長年お世話になっている『G-G-のサイエンス倶楽部』のメンバーのご助力もあり、判明しました。
1971年9月に発売されたというこれは……
ラジオ!!でした。
販売元であるSONYのサイトでは下記のように説明されています。
>FM2、短波19、中長波を合わせて実に23バンドを網羅するマルチバンドレシーバー1号機。操作機構は大型のチューニングダイヤルを3個装備し、100KHz直読のフィルム移動式ダイヤルも始めて搭載し、トグル型のレバーを多数配置するなど、プロフェッショナル感覚を訴求した造りになっています。全世界のラジオをカバーする圧倒的な対応力は「ワールドゾーン23」と呼ばれ、数多くのファンに支持されました。
私にはFMくらいしか分からないのですが、全世界で放送されている電波をとらえることができるようです。聞くところによると潜水艦が使っている無線も聞ける(傍受?)できるとか。
すごいラジオで、さすがガジェット大好き西堀さんだなぁ~~と思っていたら、思っていたら
このラジオ聞こえる!!まだ使える!!!
めっちゃクリアに聞こえます。
探検の殿堂は分厚いコンクリートでできているので、事務室でスマホに電話が掛かってきても屋外に出ないとまともに通話できなかったりするので、これって意外と凄いことです。写真には写ってませんが、ラジオの上部に1メートル強は伸ばせる二本のアンテナが格納されています。それの長さや角度を調整すると、もっときれいに聞こえる~~。
残念ながらFM以外のボタンは動かなくて、それ以外の電波は捉えられませんでしたが、それにしても良い音を拾うんです。ボリューム式のスイッチがいろいろついていて、BASE(重低音)やTREBLE(高音)の調整もできます。BASEを利かせるとズンズンきますし、高音強調もしっかり効きます。
「ラジオ自体がかなりでかいので、そりゃ良いスピーカー積んでるで~」とのことです。
私はかなり好きな音です。ずっと聞いていた~~い。
こちらのラジオは1971年当時の販売価格で定価19万8000円でした。日本銀行が公開している「昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?」を参考に計算してみると
消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)
102.3(令和元年)÷33.9(昭和46年)=3.017699115 つまり約3倍なので…
現在の価格に換算すると約59万4000円!!
(計算が間違っていたらすみません汗)
ラジオ一つで60万円……今の感覚だとびっくりしますが、一般人が知らない世界中の情報が手に入れられたと考えると安いほうなのかも?
西堀さんのメモと思しきものも。ベルリンとかアリューシャン(どこか分かりますか?)とか書いています。ラジオ自体がかなり大きいので、この前にいてボリューム式のスイッチを調整しているだけで、なんだか冷戦時代のスパイになったような感覚がします。
説明書もありました。日本語だけでなく多言語ページもありました。
実は、きちんと動作する西堀資料を見たのはこれが初めてです。製造からずいぶん時間がたっているのに、こうやって現在でも動作するというのは感動しますね。
電源ケーブルは油が染み出てきており劣化が危ぶまれますが、ぜひみなさんにもお見せして素敵な音を聞いてもらいたいです。
ポケットコンピュータ PC-1600K
先日の記事でもお伝えした通り、西堀榮三郎さんが愛用したポケコン、PC-1500の捜索話(続報)です。
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あれから数日、マイボスが「PC-1500探してるんだっけ?」と資料の保管室へ。
そして帰ってきたマイボスの手には見覚えのあるポケコンボックスが!!

こんなにすぐ探し出せるなんて
私はあんなに探して見つからなかったのに
さっすが~~


喜び勇みつつ開封します。とうとうお目当てのPC-1500をゲット!
こっちにもプロッター※と替え芯がちゃんと付属してる
あれ、でも後継機であるPC-1500Aよりもプロッターが大きい…?
と思って良く見てみたら

これ、PC-1500ちゃう、PC-1600Kや!!
さすが、後継機だけあって漢字表記も可能に
と感心している場合でもありません。
なんということでしょう。
ほんとうに、どこにいったの、PC-1500
引き続き捜査を続けます。
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2019/01/12
>今日はあるものを探していました。探検の殿堂の収蔵資料ですが、とんと見かけない。私が探しているもの、それはポケットコンピュータのPC-1500です。
あれから数日、マイボスが「PC-1500探してるんだっけ?」と資料の保管室へ。
そして帰ってきたマイボスの手には見覚えのあるポケコンボックスが!!

こんなにすぐ探し出せるなんて
私はあんなに探して見つからなかったのに
さっすが~~



喜び勇みつつ開封します。とうとうお目当てのPC-1500をゲット!
こっちにもプロッター※と替え芯がちゃんと付属してる

※プロッターとは
コンピューターで作成した線や図形を用紙に描くための装置。通常のプリンターのプリンターヘッドの代わりにボールペンやシャープペンシルを使うもので、用紙の上に固定されたペンを動かして作図する。
写真のように、ポケコンをプロッターに接続して印刷します。ボックスの上に見えている緑や赤の細い棒状のものが替え芯になります。
コンピューターで作成した線や図形を用紙に描くための装置。通常のプリンターのプリンターヘッドの代わりにボールペンやシャープペンシルを使うもので、用紙の上に固定されたペンを動かして作図する。
(ASCII.jpデジタル用語辞典より引用)
写真のように、ポケコンをプロッターに接続して印刷します。ボックスの上に見えている緑や赤の細い棒状のものが替え芯になります。
あれ、でも後継機であるPC-1500Aよりもプロッターが大きい…?
と思って良く見てみたら

これ、PC-1500ちゃう、PC-1600Kや!!
さすが、後継機だけあって漢字表記も可能に

と感心している場合でもありません。
なんということでしょう。
ほんとうに、どこにいったの、PC-1500
引き続き捜査を続けます。
ポケットコンピュータ PC-1500
今日はあるものを探していました。
探検の殿堂の収蔵資料ですが、とんと見かけない。
私が探しているもの、それは
ポケットコンピュータのPC-1500です。
ご存知の方はいらっしゃるでしょうか。
ポケットコンピュータ、通称ポケコンを。
ポケコンとは、1980年代に使われていた小型コンピュータのことです。
初期のパソコンは超!高級品だったので、それより安価なポケコンが広く使われていたそうです。簡単なゲームを作ったり、複雑な計算を処理するプログラミングを書いたり趣味から仕事まで多様に活用されていたとか。
私はもちろん使ったことも見たこともありませんが
実は、西堀榮三郎さんが熱心なポケコンユーザーだったのです。
そして愛用されていたのが前述したPC-1500!!
ちょっとした理由から西堀さん自身が使っていた
PC-1500を確認したいと思い探してみたのです。
そしたら……

ポケコンと書かれた箱を発見!

パカっと開けてみたら、そこには探してやまなかったポケコンの姿が!
しかもプロッターと合体してあるし、プロッターの芯っぽいものまで揃っている。
あぁ西堀さんありがとう…
と感謝しつつよく見てみたら

これPC-1500ちゃう、PC-1500Aや!!
これは西堀さんの息子さんのポケコンでした


(ちゃんとポケコンに名前が書いてありました)
親子そろってポケコンユーザーやったんですね
もう一つ、ポケコンだけ抜き取られたポケコンボックスを見つけました。
おそらく、西堀さんのPC-1500用の箱だと思われます。
いったい、西堀さんが実際に使ったPC-1500はどこに眠っているのか。
探検の殿堂には膨大な西堀さんに関する資料が収められているので、ここで働き始めて10か月くらいたっていますが、まだまだ未知のものがたくさんあります。これはベテランの助けが必要かもしれません。
引き続き調査を進めます。
探検の殿堂の収蔵資料ですが、とんと見かけない。
私が探しているもの、それは
ポケットコンピュータのPC-1500です。
ご存知の方はいらっしゃるでしょうか。
ポケットコンピュータ、通称ポケコンを。
ポケコンとは、1980年代に使われていた小型コンピュータのことです。
初期のパソコンは超!高級品だったので、それより安価なポケコンが広く使われていたそうです。簡単なゲームを作ったり、複雑な計算を処理するプログラミングを書いたり趣味から仕事まで多様に活用されていたとか。
私はもちろん使ったことも見たこともありませんが
実は、西堀榮三郎さんが熱心なポケコンユーザーだったのです。
そして愛用されていたのが前述したPC-1500!!
ちょっとした理由から西堀さん自身が使っていた
PC-1500を確認したいと思い探してみたのです。
そしたら……
ポケコンと書かれた箱を発見!
パカっと開けてみたら、そこには探してやまなかったポケコンの姿が!
しかもプロッターと合体してあるし、プロッターの芯っぽいものまで揃っている。
あぁ西堀さんありがとう…
と感謝しつつよく見てみたら
これPC-1500ちゃう、PC-1500Aや!!
これは西堀さんの息子さんのポケコンでした



(ちゃんとポケコンに名前が書いてありました)
親子そろってポケコンユーザーやったんですね

もう一つ、ポケコンだけ抜き取られたポケコンボックスを見つけました。
おそらく、西堀さんのPC-1500用の箱だと思われます。
いったい、西堀さんが実際に使ったPC-1500はどこに眠っているのか。
探検の殿堂には膨大な西堀さんに関する資料が収められているので、ここで働き始めて10か月くらいたっていますが、まだまだ未知のものがたくさんあります。これはベテランの助けが必要かもしれません。
引き続き調査を進めます。
西堀個人日誌(複製)を補修していただきました。
西堀榮三郎記念室では、西堀が日本初の南極越冬隊長として過ごした日々を書き残した「西堀個人日誌(複製)」を、実際に触って読める状態で展示しています。
今年の3月に記念室がリニューアルオープンしてから、来館者の方々が、直接触って読める状態で展示されていました。沢山の方にご覧いただけてありがたい反面、日誌の開け閉めによって綴じ目の部分に痛みが出てきてしまいました。
そもそもリニューアルオープン前は、本物の個人日誌をガラスケースの中で厳重に展示していたそうです。中身を見るには専門知識を持った研究者が細心の注意を払って取り扱うべき、世界に一つしかない、とても貴重な資料だからです。
しかし、せっかく記念室をリニューアルして西堀さん宅の暖炉のある居間を再現するのであればと、富士ゼロックス西日本株式会社さんが社会貢献事業の一環として個人日誌の複製を作ってくださることになりました。そのおかげで、みんなが気軽に触って読むことができる現在の個人日誌(複製)が出来上がった…という経緯があります。
このままだと触れる状態で日誌の展示を続けるのが難しい…なんとか展示を続ける方法がないものか、と富士ゼロックス西日本株式会社さんにご相談したら、なんと今回も社会貢献事業として、補修と修復をしてくださると快諾していたけたのです涙
外側からは見えませんが、ハードカバーの内側に絹の布を貼って、以前よりも耐久性が上がっているそうです。
富士ゼロックス西日本株式会社さん、本当にありがとうございます!
これからも来館者のみなさまに、西堀さんの日誌をご覧いただくことができます。
記念室に普通に置いてある西堀個人日誌(複製)ですが、富士ゼロックス西日本株式会社さんのご厚意が無ければ存在しなかったものです。資料そのものだけでなく、どうやってこの資料が出来たのか、探検の殿堂にやってくるまでにどんな経緯を経たのか…という物語をみなさまに知っていただければ幸いです

補修された西堀個人日誌(複製)、ご覧いただく際は、ちょっとだけ優しく扱っていただけると嬉しいです
