進学の悩み_今西錦司と西堀榮三郎
三高生(※京都第三高等学校)時代に西堀さんと今西さんは山に熱中!!京都・滋賀といった近場の山から、日本アルプスまで山登り三昧の毎日。志を同じくする山岳部の仲間たちと初登山を目標に頑張っていたそんな彼らにもとうとう「現実」が追い付いてきてしまった…
そう!大学入試!!!!
受験シーズン真っただ中にマッチした内容やな。このブログを見ている人で受験生なんてヤングはいーひんかもしれんけど、みんな頑張れ!!
今回は、今西錦司と西堀榮三郎の大学入試のときの話を紹介するで
二人とも有名な人やし、若いころから迷いなく自分の道を進んできてたんかと思ったけど、ちょっと違うみたいやな
そうや。どの大学の、どの学部に入学するかは、そのまま職業にも通じるもんや。日々の多くの時間を費やす職業選択は、自分の人生をどう生きるか、ということに大きく影響する可能性が高い
今までは友達と山ばっかり行ってたけど、そうもいかへんくなってきたっちゅうわけやな「
好きなことを仕事にするのか、趣味にするのか。こ現代でも多くの人が持つこのジレンマに悩んだのは、今西・西堀も例外やなかった。
西堀さんは、山も好きやけど、同時に子供のころから「技術者になりたい」と思い続けてきた人やから、その悩みも深かったかもな。技術者の道を選んだら、もう今のようには皆と山に登ることもできひん…。これは悩ましい二択やな。
とはいえ、今西さんはやっぱり若いころから山一直線やったんやな
今西さんも最初は理学部に行くか迷ってたみたいやけど、最終的には京大農学部に進学しやはった。山と離れることなく研究したい…という気持ちだけでなく、農学部は夏休みに実習がなかったから初登山を狙える!というのが大きかったらしいわ。
どんだけ山好きなん!!
とはいえ、今西さんにも悩みがなかったわけやない。かれは生物生態学っちゅう分野を選んだんやけど、当時の生物学は、生き物の生態や機能をひたすら細分化してて追求していく側面が強くて、今西さんのやりたいこととは微妙にずれてたんや。
ほんなら何がしたかったん?
今西さんは、ある環境下における特定の生き物だけを細分化して研究するのではなく、その生き物が生存している環境や、他の生き物との競合などを含めた「生き物をとりまく全体像」を研究したかったんや。
現代やとそこまで驚く視点ではなかったけど、当時の生物学は全く一般的ではなかった
(間違ってたらスミマセン。詳しくは斎藤清明 著『今西錦司と自然 (日本の伝記 知のパイオニア)』(2022年発行))を読もう!!)
山との繋がりで学部を選んだ今西さんは、これから先、けっこう長い間、自分がほんとうに追い求める研究と、その研究方法を模索していくことになるんや
なかなか大変な道のりやけど、大好きな山が研究フィールドやったんやから楽しみながらしやはったはずやで。
というか西堀さんが京大の理学部化学科を受験したんも、結局、初登山狙いやし!この人らホンマに山好きすぎやろ!
それだけ当時は、日本各地の学生が初登山を狙ってしのぎを削り合ってたんやろうな。一年、いや何か月というタッチの差で、初登山は奪われてしまう
なんや京大の理学部で定員割れなんて、今やと信じられへんわ。というか、定員割れやったら試験無しというのも不思議な気がするで
昔はおおらかな時代やったんかもな。そして、京大に願書を出すという時点で、ある程度以上の足切りがされてたんやろう
結局、西堀さんは初登山も大学合格(無試験)もゲットするなんて、うらやましかぎりや
「何かを得るためには、何かを諦めなければならない」という前提が間違ってるんかもしれんぞ
まぁ西堀さんも、しばらくは山から離れて研究していくことにジレンマを抱えてはったんやけど、しだいに「自然と技術」の繋がりを自分の中で見つけはったん
進め北山、山城三〇山! 青葉のころ
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