【西堀語録】探検、冒険、危険

みなさんは「探検」という言葉の意味をご存じですか?
私自身、探検の殿堂で働き始めるまで「探検」と「冒険」という言葉の違いを意識したことはなく、ほぼ同じ意味だと思って使っていました。ある日、私が間違って「探検」を「探険」と書いてしまった時、マイボスから両者の大いなる違いを教えてもらったのです…。
「冒険」という言葉は「危険を冒す」という字の通り、「危険を伴うことをあえてすること。成功の見込みの少ないことを無理にすること」(大辞林)
対して「探検」は、「自分にとっての”未知”を探(さぐ)り、検(しら)べる行為」を意味します。
口に出して読むと同じ音になってしまいますが、険と検は全く異なる意味を持っているのです。
普段、何気なく同じような意味合いで使っていた言葉が、実は全然違う意味を持っていたなんて。目からウロコの新情報でした。
もちろん未開の地や未踏峰に挑む場合、危険をともなうこともあるでしょうが、そうした場合でも「探検」とは、未知の領域に足を踏み入れること自体ではなく、そこで新しい発見を探ったり、検べたりすることを目的とする…と私は理解しています。
しかし、この二つは古くからごっちゃになりがちだったようです。
西堀榮三郎さんたちが初めて南極に行くことになった際も、民間から寄付を募るために「日本南極探検後援基金募集」という看板を立ち上げたら、「”探検”なんて言葉はあぶないから困る、”観測”という言葉に変えて」という声が上がったそうです。
南極のみならず登山、スキーなど新しいことにどんどん挑戦した西堀さんは自著『石橋を叩けば渡れない。』の中でこう語っています。
ほかの方から見れば、ずいぶんあいつむちゃしやがるな、と思うようなことをしたかもしれないが、私自身はいつも非常に慎重にやってきました。あらゆる角度からものを考えていって、いささかも自分が危険を冒していると感じたことはないのです。(『石橋を叩けば渡れない。』p30)
幼いころから南極への夢を抱き続け、雪山登山や情報収集を続けた西堀さん。いざ南極に到着すると、物資の輸送や基地建設に追われる中、食料や燃料の喪失してしまうなどの厳しい環境に置かれました。そうした中でも、西堀さんは地道に観測や調査を続け、未知の探求に勤め、喜びを感じました。きっと楽しくて仕方がなかったのではないか……南極での西堀さんの写真を見て、私はそう感じたのでした。
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最近、時間のある時に、西堀さんが残した写真資料を眺めています。
ふと、それをイラストに描きおこしてみました。写真データそのものをブログに掲載することはできませんが、イラストなら掲載できるので、こういう風に西堀語録と一緒にみなさんにお伝えしようと思います。
続くように祈ってください。