激情と冷静は紙一重!今西錦司02
今日は、1952年に今西錦司が踏査隊を率いてマナスルに行った時の話や。
い…
今西錦司が殴った!
土下座した!!?
マナスルはネパールにある山で、標高は8163mや。世界で8番目に高い山やで。
今西さんらは戦後にいち早く、海外登山の先陣を切った。その時に目標に定めたのがマナスルやったんや。
とは言っても、当時分かっていたのは、マナスルが8000m級の山ということだけ。どんな山なのか、どこにあるのかも分からへん全く未知の山やった。
えぇ!?
どこにあるかも分からない山を目標にするなんて!
目標の山を決めたら、今西さんは西堀さんに「なんとかネパール政府から登山許可をもらってきてくれ。頼む!」と言って彼を単独で送り出したんや。
西堀さんは戦後初めてネパールに入国した日本人でもあるんや。
今西に頼まれたら断れないもんね!
西堀の頑張りもあって、マナスルの登山許可が貰えたんや。けど、すぐに日本から登山隊を送り出すわけにはいかへん。
「どのルートで登るのか」「マナスルはどういう山なのか」という情報収集が必要や。そのために、1952(昭和27)年に、今西はマナスル踏査隊長としてネパールに行ったんや。
マナスル踏査隊にはスポンサー会社の人も一緒に行ってたんやな。
そうや。海外の8000m級への挑戦ともなると、必要な人員や経費は莫大なものになる。どこからお金を引っ張ってくるかも、大事やからな。
でもこの踏査の途中で隊の中にトラブルが発生した。
マナスル周辺も調査したい今西と、踏査ルートが分かったら一刻も早く日本に帰国して情報を知らせたいスポンサー会社の人の間で、意見の相違が起きたんや。
そして、どちらも譲歩することなく
隊長なのに…
殴っちゃった……。
そして華麗なる土下座を決めたわけや。
今西錦司は偉大なるリーダーって聞いてたから、思わずカっとして殴っちゃうとか、こういう風に土下座をして謝るのが、なんか意外やわ。
リーダーは冷静沈着で、感情的にならないってイメージやったから。
ところがどっこい、今西錦司は別件でも土下座してるんや。
えっ!?
マナスルの登山計画は最初「生物誌研究会」によるもんやったんや。これは今西がヒマラヤ登山のために設立に尽力した団体で、生物系の講師以上の教官たちで構成されてた。
けど、マナスル登山の許可を貰った!という西堀さんからの連絡を受け取った今西は、マナスルの登山計画を「生物誌研究会」から「日本山岳会」へと主導権を譲ったんや。
なんで!?
真相は今西にしか分からへん。
マナスルの初登頂を狙うには山登りPOWERが足りないと判断したのか、はたまた西堀からの連絡で「一組織よりも日本を代表する団体のほうが良い」とか言われたのか……。
「生物誌研究会」の人たちからしてみれば、当然面白くないよね。自分たちが挑戦できると思ってたのに。
そのとき、今西錦司は「生物誌研究会」のメンバーで自分も昔からお世話になっている木原均(きはらひとし)先生に土下座して謝罪したんや。人が行き交う京都駅のホームでな。
京都駅のホームで!?
土下座もビックリやけど、そんなお世話になってる先生を裏切るような真似をできるのが驚きだよ!
今西錦司は非常に冷静で、ある意味冷酷とも言えたんや。今西にとって組織や人員は目的を達成するための駒であり、時と場合によっては容赦なく切り捨てる。
そこまで冷静やったからこそ、自分が人前で土下座して謝罪することに全然抵抗感とか無かったかもしれへんな。むしろ、土下座で相手の気がおさまるなら儲けもんと思ってそうや!
今西さんと交流があった人の記録を読むと、みんな多かれ少なかれ「利用された!ちくしょう!!」って思ってるみたいや。今西さんと何度も喧嘩したと言ってる人も少なくない。
けど、今西さんはすぐに謝ったり、何事もなかったかのように連絡してきたりして、喧嘩してた相手も毒気を抜かれてしまう、ってことが多かったみたいや。
こればっかりは今西の人間的な魅力やな。
実際に今西と付き合ってみな、見えてこーへん部分やわ。
ほんと、リーダーにも色んなタイプがあるんだなぁ……
あっ。
冷蔵庫の中にモンブランがある!
確かクワさんがさっき入れてた奴やな…。
…
……
見れば見るほど美味しそうなモンブランや。目が離せへん。
(土下座したら許してくれるやろか…)
エテ。
お前が何を考えてるかは分かるで。
世の中そんなに甘ないんや。
そのモンブランと違ってな…
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