南極に行ったネコ たけし

探検の殿堂では、年明けの1月4日(土曜日)から2月2日(日曜日)まで、西堀記念室で『ネコのたけしがナビゲートする 昭和基地のお正月 in 1958』を開催します。クリスマスをすっ飛ばし、最近はこの展示の準備をコツコツと進めていました。
物資も乏しく、限られた環境である南極で、初代越冬隊は1958年のお正月を昭和基地で迎えました。迎えの「宗谷」は氷に阻まれ、いつ次の隊に交代できるのか、そもそも交代できるのか?という不安な毎日が続く中でも、楽しむ心と創意工夫の精神を忘れなかった隊員たち。そうした当時の様子を、彼らと一緒に南極で越冬したネコ・たけしに案内してもらおう!というのが目的です。
そうだ。
南極に、ねずみはいないが、猫はいた!!
今回は展示のナビゲート役になってもらったネコ、たけしが、なぜそもそも南極に行くことになったのかについてみなさんにご紹介します。



南極観測船「宗谷」には、犬ぞり用の樺太犬や、西堀さんが持ち込んだカナリヤなどが一緒に乗っていました。しかし、ネコを連れていく予定はありませんでした。それがなぜ「宗谷」に乗りこんだかというと、地質・犬ぞり担当だった菊池徹(きくち とおる)隊員に、とあるご婦人が縁起物として生後まもないオスの三毛猫を手渡したから。
日本による初めての南極観測です。日本国民の多くが注目し、「宗谷」出航の日には、港に見送りの人が溢れました。まさに出航直前というとき、とつぜん差し出された子ネコを、菊池隊員はそのまま上着のポケットに放り込み…、というわけです。
予定にない子猫が乗船しているとなったら驚きそうなものですが、後に「たけし」と名付けられる子ネコは、みんなに可愛がられながら、船上ですくすくと成長していったのです。
子ネコを持ってきた女性は誰なのか、生後まもないオスの三毛猫をどこから連れてきたのか…、それらは謎に包まれたまま。
たけしは越冬隊員たちの手記などにも登場しています。
中でも、設営・報道担当だった藤井恒男(ふじい つねお)隊員が書いた『実録 南極物語 第一次越冬記者の回想』には、今回の「菊池隊員がたけしが手渡された時のエピソード」なども掲載されています。藤井隊員は越冬当時、「わが輩は南極のネコである」という連載物の新聞記事を日本に送っていたので、ネコのたけしは意外と有名人(ネコ)だったのかもしれません。

みんなに可愛がられるあまり、ぱんぱんになったたけし。
生まれたばかりで南極観測船に乗りこみ、昭和基地での越冬まで経験するなんて、激動のネコライフを送ってる!と私は思ったのですが、日本での生活や環境を知らなかったからこそ、たけしにとっては「宗谷」や南極が自然な環境だったのかもしれないな~とも考えてみたり。
来年1月からの展示では、すごろくやおみくじなどの昭和基地のお正月にちなんだ体験もあります。ぜひどうぞ~
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